|
鬱病と闘いつつ、沢山の友達に支えられて生きていく姿を晒しています。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日以上に体が痛いから病院に連れて行かれた。
お盆だから休日当番医に。 結局、原因不明、病名も不明。 痛み止めを処方するだけが精一杯。 たぶん、精神的なものが原因だとやぶ医者の俺は推測する。 いやぁ、キーボード打つのもつらい。 手首、指、動かすたび痛みが走る。 足の指、足首、ひざ、大腿、腰、首、肩、ひじ。 関節があるところすべて動くたび痛い。 ベッドから起きるのも痛くて苦労する。 ペットボトルのキャップも痛くて開けられない。 痛みが引くまでどこにも出かけられないし、何もできないなぁ。 PR
昨日は昼、夕方、そして深夜と3人の友達+1人と会った。
昼に会った友達は娘を連れてきてたので+1人ってこと。 車に乗ったままでいるのかなと思う暇もなく、娘もお母さんと一緒に降りてきた。 「なんであんたまで降りてきてるの」とお母さんに言われるも 「えー、じゃぁ戻る?」みたいなやり取り。 1年と3ヶ月ぶりに会った娘は一段と成長しており、大きくなっていた。 少し会っただけでも、心と体がちゃんと成長してるのが解った。 もう小学4年だもんなぁ。 娘に俺は嫌われているという被害妄想をずっと抱いてきていたので、 (お母さんと一緒だからかもしれないが)笑顔で居る娘を見てすごくほっとした。 前に電話で話したときも挨拶だけで、すぐ電話を変わられたし。 そんなことをずっと気にしていたのです。 ま、年頃になりつつある女の子だから普通なんでしょうけどね(笑) ともかく、会ったときは友達に対してどうこうとか思わなかったし、 ドキドキもしませんでした。 一段階進めたのだと思います。 この親子とはどうこうしようとかじゃなく、このまま親子共々 『友達』としてお付き合いを続けたいんだなと思いました。 奇麗事で考えてるだけかと思いましたが、理論が実験で証明されるように、 今回のことで私も確信に変わりました。 会ってない時に色々考えちゃうのは、たんに癖というか習慣になってるだけなんだと思います。 もっとも、帯広行ってる間は(特に後半のほう)まったくと言っていいほど考えなくなりましたし。 せいぜい、あ、そろそろCD欲しいかな?と思うぐらいで、それ以上でもそれ以下でもなかったですから。 現在出ている法案によって、それも近々できなくなる可能性もあります。 (すで成立したのかもしれない。政治に疎いので) 噂によると、来年から処罰の対象という話もどこかで聞きました。 今現在のその行為はグレーゾーンではありますが、厳密には処罰できないことになってるからやってるまでです。 なので、今後その法律に引っかかるようになると、やらなくなると思います。 ま、それはともかく、これで仙台だと近すぎるという不安が少し解消されました。 次に夕方過ぎにもう1人の友達と会いました。 最近の調子や車の調子を聞かれて、短い時間でしたが話し合いました。 そのうち飲みに誘ってくれるそうです。 (後述しますが、私の精神状態でわかりませんが) そんなに目立ちますかね?GTウイング。 ありふれてると思うのですが。 夜、もう1人の友達と会いました。 色々話したり、車の点検を頼まれてやったりしました。 彼から愚痴を聞かないのは久々だったかも(爆) 今、安定してきてるのかなぁ? 家の母とちょっといざこざがありまして、 すごく具合悪くなりました。 激しい頭痛がして、気分もかなり下がり。 宅急便に俺の体を入れて、帯広に行こうかと思いました。 (旅費はもって無いので)
今朝起きたら体中に痛みが走った。
なんだろ。 長時間運転が今頃来たのだろうか? 寝方が悪かったのだろうか? 首、手首、腰、背中、脚、足首。 関節があるところいたるところに痛みが走ってまともに動けない。 80歳過ぎの老人のような動きだ。 ま、キーボードを打つのは支障ないのが救いか? 家に居たくないから外に出たいのだが、運転も苦痛がともなう予想がされるので、それも億劫でできない。 体中バキバキだ。 部屋の中移動するのもめんどくさい。 よって、昼飯もめんどくさいから食ってない。 薬も飲んでなかったが、さきほどおもいたってようやく飲んだ。
帯広を出たのが前日の9時半。
その前に友達2人から電話でおこしてもらったりして、 なんとか全荷物を積み込むことができた。 で、帯広から函館までの長い道のりをひた走ったのだが。 途中で友達から何度もメールで、間に合いそうかと心配してもらった。 案の定、いつもより込んでいてスローペースだったので、 友達に言われたとおりフェリーの時間を後の便に変更して正解だった。 前だと、夕方5時過ぎには函館まで到着してたんだけど、 結局到着したのが夕方6時半過ぎ。 そして、何とか無事にフェリーに乗り込んだ。 マフラーはすりすりだったけど。 フェリーの中の4時間は、仮眠しようと格闘したが無駄に終わった。 青森港に到着して、国道4号をひた走ってる間に様子が変わってきた。 具合悪い。気持ち悪い。気分が落ち込む。 欝だ。 頭の中でぐるぐると考え出す。 まだ、駄目だったか。 何度か帰省したとき大丈夫だったのは、すぐ帯広に帰るという前提があったからその安心感で無事だったのだろう。 盛岡に突入したのが深夜3時すぎ。 ネカフェを見つけ夜間パックで泊まろうかと思ったのですが、 朝6時までで終わりらしい。 一回寝たら起きれない自信あるので、どんどん延長料金がかさむのを恐れて、辞めて走り出しました。 朝4時過ぎ花巻、北上市あたりで、眠さの第一波が来て、こうなりゃラブホに1人で泊まるかと思いラブホめぐりするも、 高い高い。 あれ?ラブホってこんなに高かったっけ? しばらく使ってなかったから。 前は気にしないで入ってたけど、気が引けた。 フリータイムではいろうとも大抵が朝6時から。 うーむ。まだ1時間以上早い。 まてん。 ちうこって、頑張ってまた走り出し。 前沢市を通過するころに眠さ第2波。 大型スーパーを発見し、駐車場に車を止め、 寝ることを試みる。 まっすぐ体伸ばせないし、荷物に体があたって痛くて眠れない。 (後部座席も助手席も荷物満載だったので) 2時間ぐらい格闘するも、断念。 寝るの無理。 ちうこって、あきらめてまた走り出した。 朝7時過ぎ一関を通過したころには、実家はもうすぐだと力がわいてきて、 眠さはほぼ消えて頑張れた。 そして、朝8時半過ぎ実家に到着。 「ただいまー。眠いー」 といって、帰宅。 家の犬はなでてほしいというポーズをしきりに俺にとる。 しばらく会ってないんだけど俺のこと忘れないもんだなぁ。 んで、母親にすぐ 「あのね、帰るの辞めようかと思ったんだけど、とりあえず帰れって友達に言われたから帰ってきた」 「医者にはね、実家で暮らすのは勧めないと言われた」 「仙台がいいかもー?といわれたから、仙台か、帯広に戻って住むのがいいと思ってる」 と来るなりそうそう話をしておいた。 だって、ずっといるっと最初から期待させておいたら可哀想だしね。 んで、その後布団に入って就寝。 眠れないかも?と思ったけど、結構すんなり眠れた。 起きたら昼1時半を回っていた。 ちうかね。 宮城あちーわ! 帯広全然まだましだった(笑) 暑さの質が違うわ。 つーこって、荷物降ろしは涼しくなってからと思い。 3時過ぎに第一弾。 シャツが汗だくになりました。 そして、宅急便も到着。 「お中元シーズンだからこの量大変だったっすよ。」と宅急便のおにーちゃんに言われ、俺も愛想笑いした。 んで、冷蔵庫の缶コーヒー一本渡してやった。 んで、部屋にダンボールの山を運び込む。 うは。スペースねえ。 どんだけの量入ってたんだよ。 夜、突然嘔吐した。 夜の分の薬を飲んだ直後。 帰宅早々嘔吐かよ。 やっぱまだまだ無理だと体が一番わかってるんだろうなぁ。
何とか友達の手伝いもあって、無事形がつきました。
とりあえず明日には出発できると思います。 やっほう。久々にマイスリー2錠のんでるじぇい、いえい。 せんせーには やっぱ、仙台がいいかもね。といわれました。 俺は、そうですねえ、仙台か、帯広ですよね。 と言いました。 病状のことに関しては何も言ってくださいませんでした。 頭痛いだの不安だのいろいろ言ったのですが、 いつかは、元に戻るからね。といっていただきました。 もしかして、病気自体は治りかけてるのかな? だからそういう表現をしたのかな? とりあえず、先生も実家はお進めしないそうです。 不安になる要素を一気に引き受けるのではなく、 一個ずつ順番に解決していたほうがよいとのこと。 仙台か、帯広ならそれができると。 ん。やっぱそうなんだよね。 とりあえず家に帰ったらおっかない父ともぶつかって話し合って見たいと思います。 あと7年くれ。と。 40歳までにはちゃんとするからと。 岸上が帰ってきたとき、ぼそっともらしてしまいました。 帰りたくないよぉ そしたら「それじゃとりあえず一時帰宅だな」後は何も言いません。 やさすいお兄さんです 地うこって、明日はながたびになります。 帯広から函館まで約10時間。650km その後フェリーで青森まで4時間。 そして青森から宮城まで8時間420km 約1千キロを走ります。 荷物満載のくそ重たい車で。 (トランクに、エンジンとミッションつんでますので) さて、出発時間に起きれるでしょうか。 フェリー予約時刻に間に合うでしょうか。 |
カレンダー
フリーエリア
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
バレンタイン ブログパーツ
|