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鬱病と闘いつつ、沢山の友達に支えられて生きていく姿を晒しています。
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初恋の定義、どれが初恋だったかは解釈だが。
幼稚園の頃、とても気に入っていた女の子が居た。 その子と将来結婚するって宣言していた。 お昼寝の時間、その子と添い寝するって言って聞かなくて、 保育士を困らせた記憶がある。 小学入学後、特別なお気に入りの子はすぐには居なかった。 女の子は好きだったが。 3年になって、学校が統合しそこで一人の女の子に出会った。 いつから意識したか憶えてないが、 その子は頭も良くて、運動神経も良くて、明るく活発で、 皆に好かれている(?)女の子だった。 3年生から卒業する6年までずっと同じクラスになれて すごく嬉しかった記憶がある。 その子の事は、ずっと片思いし続け、中学では一度も一緒のクラスになれなく会話も全くする事ができなかったが、 高校に上がってからも忘れられず、確か高校2年かそれぐらいまで、 告白もせず一途に思っていたのだと思う。 そして、ようやく決断し、思い切ってデートに誘ったのだが、 断られて、そして初めての失恋を経験したのである。 結局想いは伝えずに終わったが、実に10年以上の片思い? その後社会人になってからも、なんとなく彼女のことが完全には消えて無く、好きな人が出来なかった。 友達には、彼女欲しい欲しい言っておきながら、本気で欲してなかった。 24才の時、パソコン通信を始めた。 そこで、画面越しに一人の女性に好意を持ち始めた。 今で言うネット恋愛である。 画面からは、その人の一部(良い部分)しか見えず、 その為久々に恋というものにのめり込んでいった。 一度その感覚が走り出したら止まらず、 その後も何人か(5人ぐらい?)ネット恋愛を経験し、 さらにネット上でナンパし(苦笑)毎週のように違う女性と 仙台等で実際に会って遊びほうけた。 友達からナンパ師の称号受け、「今日はどこの女と会うんだ?」と会う度言われるほどに(苦笑) その一方で、純愛(?)も何人かしており(とはいえやはりネット上だが) それでも浪費はせず、貯金もしてないが、借金も無しという堅実(?)な生活だったと思う。 (たしか)26歳の時、そこから俺の人生が大きく変わったと思われる一人の女性と出会った。 その人は水商売の女性だった。 一目惚れし、何十回、いや100回以上は通ったと思う。 その子とは2年強、約3年の間関係を持った。 そして唐突に別れた。 そして、恋愛停滞期に入る。 どの女性と会っても魅力が感じられず、恋する気持ちすら失っていた。 遊びで寝たりはしていたが、彼女にしたいとか彼女が欲しいとは一切思わなかった。 その頃ある女性に何度もアプローチを掛けられていた。 「ホテルいこっ♪」とか「●●さんの事好きよ」とか。 だが、深入りしたくなかった俺はついに手を出す事は無かった。 後から、共通の知人数人に、なんで受け入れてあげなかったの? 本気で貴方の事好きだったんだよー? そんな事言われたが、遊びでエッチするだけならいいけど、 恋されるのが苦痛だったから。 フリーター生活の頃。 ちょこちょこ良いなと思う人は居た。 見た目だけで。 でも本気で好きだったかどうかいまいち。 恋してるというより、ただ彼女という存在が欲しかっただけだったと 思う。 その子は、20才ぐらいで背がちっこくて愛らしい子だった。 よく冗談を言って笑わせていたし、彼女からもしょっちゅう俺の側に寄ってきてた。 バイト辞める事になって、連絡先だけでも交換しようかと思ったが、 結局連絡先も教えず、辞める事すら伝えず退社した。 そして、再び恋愛氷河期に入ろうと決断した矢先に、あの会社であの人と 出会ってしまったのだ。 PR
地元に戻ってきた翌月、小牛田町のガソリンスタンドに就職した。
最初2週は岩出山と中新田の別の店舗で研修。 その後小牛田店に配属。 給与は確か手取りで18万ぐらいだったと思う。 残業もわりとあったし、基本給も14万ぐらいはあったから。 大分そこでは稼げて、車も2台買ったし、それでも貯金が100万ほど貯まった。 そこに居た期間は1年4ヶ月という短い期間であったのに。 その後、自動車整備工場に。 一カ所目は南郷町の工場。 大型から軽自動車まで扱うところだったが、ほぼ車検整備しかやらない事と、それ以外は外注だったので技術と知識の向上が望めず、やりがいを感じなかったので半年も経たずに退社した。 次に、石巻市内の工場。 チューニングカーも手がけるという事で期待して入ったのだが、 そこにあったのは、単なる中古車屋、技術も低く、 また給与も安く、残業はほぼサービス残業。 その上働いている人達が私には合わなく、レベルが低く感じられた。 社長もワンマンだったし、その為長く勤めたいと思わずそこも半年ほどで退社した。 最後には社長とケンカして、もう来なくて良いと言われて。 そして、涌谷町の整備工場に就職。 そこでの人間関係はすこぶる良く、長く勤めるつもりだった。 実際には6年と少々で退社する事になったが、 今でもその工場には遊びに行ったり、また電話で呼ばれたりする関係を 保っている。 今遊びに行っても居心地が良い。 退社後も何度か戻ってくる気がないか社長には聞かれたが、断り続けた。 勝手かもしれないけど、今の関係が一番楽だからだ。 その工場の在籍中に、一つの仕事を内緒で始めた。 会社からの帰宅後、自宅のPCだけでできる仕事であったが、 その後、それだけで食べて行きたいと思うようになり、前職を辞めたのだ。 その後仙台に事務所を借り、電話やFAXを引き、法務局やら税務署やらに相談し、手続きを済ませ、机やらなにやら揃えて事務所らしくした頃、従業員募集をし、そして仕事の量を増やした。 その傍らで、もう一つの仕事を始めた。 自分の城を持てたという感覚があり、すごくやりがいがあった。 月商は500万を超え、順調に行っているかに思えたのだが、 崩落は一瞬にして且つ一斉に訪れた。 取引会社が一斉に手を引き、商品を仕入れる事が出来なくなった。 売る物が無ければ商売は成り立たない。 収入が無ければ、賃料も払えないし、従業員への給与だって払えなくなる。 すごく追いつめられたが、方々に手を尽くし走り回った。なんとかしようと。 だが、落ち着いて周りを観察できなかった私に近づいてきたのは、所謂乗っ取り屋。 冷静でなかった私は口車に乗せられて、わずか数日間の内に全てを失う事に成っていた。 多大な借金を背負わされて。 ヤクザ者に暴行を受け、それでも必死にプライドだけは守った。 絶対従業員に手は出させない。 事務所に乗り込んでこられた時、従業員は怯えていた。 でも、私が離れるように、隠れているように言っても、私から離れようとしなかった。 なんとか説得して、外へ出させて、それが精一杯だった。 結局別のヤクザに話を持っていき、終わらせる事しかできなかった。 もしかすると、グルだったかもしれないが。 残ったのは借金だけ。 2足のわらじは、2足とも同時に失う運命だった。 気力が無くなった私は、フリーター生活をした。 ちゃんとした就職する気もなく、登録制のバイトで、 日々をただぼーっと過ごしていた。 月に20日仕事をする時も有れば、月に4日しか仕事出来ない時もあった。 さすがに小遣いにもならないと想い、ハローワークに通う事にした。 やりがいの有る仕事 これをキーワードに友達に相談したり、手伝って貰いながら仕事を探し始めると、 ある一つの会社に目が止まった。 印刷をし家に持ち帰ってインターネットで調べて、 いや、その目が止まった時点でホントは心が決まって居た。 これこそ我が求める物。 全てをその仕事に注ぐつもりだった。 だが、結果は1年持たずにクビ。 全て注ぐどころか、自分に甘すぎた結果だ。 そして、そこの会社の方に紹介して頂き別の会社に行ったのだが。 1ヶ月も持たずに辞表を出した。 年末に、元同僚から紹介して貰ったカマボコ屋で20日間ほどバイトをした。 働いているという実感があり、また職人も良い物だなと思った。 その後、何十社も受けるも、書類選考、面接で落ち。 どうにかこうにか、つい最近ようやく派遣会社というか業務請負で 職に就く事ができた。 面接も試験もなく、受ければ入れると行った感じで。 でも、何十社も落ちた私にはそれでも入社日が確定するまでは 不安だった。 数日間研修後、配属された班の人はみな20代前半だった。 私一人だけ浮いていた。 話も合わず、また目立ちたくなかったので私から話しかける事もほとんど無く、仕事の質問ぐらいしかしていなかったため、 現在もあまり会話がない。 ほぼシカトされているような状況である。
初めて給料をもらったのは、高校生の時郵便局のバイトした時。
正月の繁忙期での、配達のバイト。 高校で原付の免許を取る事すら禁止されていたので 自転車で配達して回った。 新しいパソコンが欲しくて、その為にバイトしたんだと思う。 次にバイトをしたのが、高校卒業後浪人している時。 コンビニで深夜から朝まで週4日ほど働いていた。 確か、6月頃から12月ぐらいまでだったと思う。 何に使ったかは不明。 大部分は、受験の旅費や受験料などの費用に貯めていたと思う。 あ、その頃ちょっとだけギャンブル始めた。 パチンコより主に競馬だったなぁ。 19才になって、就職を決めた時。 食べる事が好きだったので、調味料の卸問屋の会社に就職した。 だが、何故か新人研修という名目で、神戸のそれも電話機の訪問販売の会社に出向させられた。 それでも期待で胸を膨らませ、その地に飛んだのだが。 徐々に見えてくる実態、現実。 ようするに巧みな言葉による心理商法の、詐欺まがいの仕事だと知った。 数人の同期が、割り切る決心をして、やればやっただけ稼げる。 この際、多少倫理に反そうとも金持ちになってやると決めた中。 (実際そこで働いている人の給与は、月収80~100万とかざらだった) 俺は、人の道に反したくない。知らない人とはいえ、騙すような真似は絶対したくない。 人を苦しめてまで金持ちに成りたくない、どうしてもなら俺が貧乏になったっていい。 そう思って、間もなく退社した。 帰りの旅費と、研修期間の分の微細な給与を付き合わせると手元には殆どお金が残らなかったが、自分を裏切らずにすんで良かったと思った。 その翌年の正月、例の震災が私が暮らしていた場所と会社を飲み込んだ。 複雑な思いだったが、すごく不謹慎であったが、 その映像に釘付けだったのは、会社を辞めた選択によって難を逃れた事の 喜びだった。 辞めてなければ、今頃・・・と
そんな辛い過去を抱えていて。
私は、私にそんな過去を抱えさせた人たちをずっと見返してやりたかった。 一流の学校を出て、一流の企業もしくは一流の研究者となって、 財産を築き、俺を虐めてきた奴等に嫉妬させたかった。 「なんでアイツが」とか 「仲良くしとけばよかった」 とか言わせたかった。 中学の時は成績良かった。 宮学という県内統一の模擬試験で、何度も上位に名前が載っていた。 その度俺は全てが悪い人間じゃない、勉強は出来るんだ。 そう思いこもうとしていた。 嫌われてるのは、勉強できない、それもこの同じ中学の人間だけだ。 卒業すれば環境も、周りの人も変わる、そう信じていた。 高校に入ってから、期待していた事に近く、虐めは殆ど無くなった。 極一部から嫌われた事はあったけど、すぐ無くなった。 気が抜けたか、油断したのだろう。 成績はすぐに最下位近くに落ちた。 辛い事もあまりなかったけど、楽しい事もあまりなかった。 だからか、高校の頃の記憶は殆ど思い出せない。 時々、ちゃんと卒業したのか思い出せず疑問に思うほど。 大学受験したが、尽く落ちた。 親に説得して、なんとか1年だけ浪人を許して貰った。 だが強い信念が無くなっていたので、結局浪人後は更に学力が落ちて、 当然合格する事は出来なかった。
もしも、何でも消す事ができる消しゴムがあったら。
俺自身を。 俺に関わった人から、俺の記憶を。 全て消し去りたい。 最初から、俺が居なかった事にしたい。 痛い。 手が痛い。足が痛い。腰も痛い。 頭が痛い。心が痛い。 辛い。 もうやだよ。 毎回キモイとか気持ち悪いとか言われて辛かった。 でも、好きだったから、それでも会えたから我慢した。 小学生から虐められて、中学でも虐められて。 高校入って知らない人が増えて一旦虐めは無くなってほっとした。 卒業して浪人して就職して、そんな事をすっかり忘れかけていて。 自分に自信を少しずつ持ち始め。 何度か失恋を繰り返し。 その度何度も立ち直り。 彼女と出会った。 初めの頃は、私にある種の尊敬を示してくれていたが。 ある時から、阿闍羅に扱うようになった。 彼女の義理の妹(?)が、俺と中学で同級生だった。 中学時代の俺は、女子にバイ菌扱いされていたので 色々聞かされたのだろう。 そんな昔の事?大人になったら関係ないでしょ?と思うかも知れないけど。 成人してから同級会に行った時、女子からの対応は変わってなかった。 バイキングで私が食べた皿からは二度と取らないように、影でコソコソ言っていたし。 俺が飲んだ杯で、男子と酒を酌み交わした時、俺に聞こえるように女子が「よく気持ち悪くなく、アイツが飲んだの口つけれるよね」 そう言っていた。 俺が付いたテーブルからは、開始そうそう人が居なくなっていた。 そういう時、人は主観より、周りの意見に左右されやすい。 きっと、たぶん、彼女もその俺が嫌われ者だった事実を聞いてから態度が変わったのだろう。 あぁ。もうやだよ。 生きていても、俺を知らない人だけと接していくって事はできず、 ずっとこの先もその頃を知っている人がどこかで関わってくる。 いや、そういう事知らない人にさえ、 自然と嫌われているのが今の会社だから、 俺という存在その物が、社会、地球上の人類からしたら異物なんだろう。 生まれてこなければ良かった。 |
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